連載 交野の歴史を訪ねて
古 墳 の成り立ち 交野の古墳時代A |
交野市南星台在住 米田昭一
天の川沿いに枚方附近から御殿山古墳・禁野車塚古墳・郡津丸山古墳・藤田山古墳・妙見山古墳が並び、四世紀に造築されたと思われる比較的大きな古式型古墳が大部分を占めています。
ここは、肩埜(かたの)物部の祖先が天野川を下って開いた沃野で、最初の農耕経営を始めた場所だと言われています。
また反面、山麓には比較的小さな古墳が点在してい。この古墳群は、六世紀から七世紀にかけて造営されたものだと思われます。
このように四〜七世紀までの四〇〇年間、力のある者の墳墓が造営され続け、一気にできあがったのではありません。
また、古墳がある古い「地名(字名)」を知っておくのも古墳を知る上で大切なことでしょう。
ここで、注意しておきたいことは、この古墳には、当然現在の持ち主が居ることを忘れてはいけないことでしょう。
開発の波に飲み込まれてしまった妙見山古墳・寺村南川堤古墳・交野車塚や倉治丸山古墳・変電所附近の古墳群の様に出土品を展示し、その埋葬者を集めた塚を作り祀っているなど、発掘された後の様子は様々です。所有者の好意で内部を見学させていただける古墳や調査だけで発掘していない古墳も多数あります。
このように古墳によって様々ですので、見学するにも、その古墳にあった対応が必要になります。